全日本実業柔道連盟の歴史

1945年8月、第二次世界大戦の敗戦日本国民は、失意のどん底に落とされていた。 同年10月、マッカーサー指令により学校柔道が禁止されるとともに大日本武徳会が解散した。そのような環境の中で柔道を愛好する実業人たちは、柔道の火種を絶やさないために町道場に集まり空腹に耐えながら稽古を続けた。
1948年5月、第1回全日本柔道選手権大会が講道館で挙行され、翌年5月に「全日本柔道連盟」が発足した。さらに1950年9月、武道の名称は禁止されたが学校柔道が復活、スポーツ・護身術として再生された。これをふまえて産業会の各企業に柔道部が創部されようやく前途が明るく開けてきた。

全日本勤労者体育連盟柔道部会の誕生

1948年4月に(財)日本体育協会が設立され、1950年4月に全国勤労者体育連盟が発足した。この時に柔道を愛好する実業人の中で全国組織を結成しようとする機運が高まり、東日本から東芝・日本鋼管等、西日本から南海電鉄・東洋レーヨン等が参画し準備委員会が発足した。1951年4月「全日本勤労者体育連盟柔道部会」(全日本実業柔道連盟の前身)が設立され、これを記念した「第1回労働大臣杯争奪全日本勤労者柔道選手権大会」が神奈川県体育館において22チームが参加して開催された。

全日本産業柔道連盟の結成

1952年5月以降、第1回繊維柔道大会・第1回炭鉱柔道大会・第1回鉄鋼柔道大会が矢継ぎ早に開催され、次第にその他の部門でも大会が開催された。1953年11月日本の基幹産業を担う繊維・鉄鋼・石炭・造船・電気・瓦斯部門が結集、「全日本産業柔道連盟」が結成された。

全日本産業柔道連盟の結成

1955年4月、全日本勤労者体育連盟は、バレーボール・バスケットボール・卓球・庭球・バドミントン・駅伝・弓道・剣道・柔道の各部門に分割した。このため柔道部門は「全国実業団体育連盟柔道部会」に改称、さらに1960年11月に「全日本実業団柔道連盟」として発足した。

全日本産業柔道連盟の結成

1961年7月、全日本実業団柔道連盟の総会に全日本産業柔道連盟から「全日本実業団柔道連盟と全日本産業柔道連盟の合併一本化」が提案され承認された。1962年5月、全日本実業団柔道連盟の総会と発会式が開催され「全日本実業柔道連盟」が発足、会長・永野重雄を満場一致で選出した。

全日本産業柔道連盟の結成

1963年4月。全日本実業柔道連盟は全日本柔道連盟に対し加盟の申請をした。1970年4月、全日柔道連盟の評議委員会が開催され、全日本実業柔道連盟は構成団体としての加盟が承認(規約改訂)された。

※参考 第5条 本連盟は全国都道府県毎に自主的に組織されたアマチュア柔道団体によって構成される。但し本連盟は別に定めるところにより全日本学生柔道連盟及び全日本実業柔道連盟をその構成団体とする。

「実業柔道40年の記録・着実なる発展より抜粋」


▲このページのトップへ戻る